第17日 6月27日(火) 総距離370.6km 曇り→晴れ
時刻 | 行程 | 歩行距離 | 累計距離 |
05:00 | 関の家を出発 | -- | -- |
06:30 | 種間寺(34番たねまじ)に到着 | 7.0km | -- |
11:05 | 清滝寺(35番きよたきじ)に到着 | 9.8km | 16.9km |
13:00 | ビジネスイン土佐に到着 | 3.3km | 20.1km |
14:00 | 土佐市民病院で診察 | -- | -- |
15:30 | ビジネスイン土佐にチェックイン | -- | -- |
関の屋のご主人に見送っていただきながら5時に出発。昨日ご主人から聞いたスーパー遍路さんのことを思い出しつつ、歩き始める。姿だけでも見られると良いのだが・・・。早朝は足の痛みもさほど気にならず、一時間半で種間寺に到着。途中、行く先に青空が広がり気持ちよく歩く。早朝で無人の札所でお参りをすると、人の気配がないのに、”カン!”という鋭い音がしてビックリ。平地の集落にある札所だが、静かで清々しい雰囲気を感じる。納経所ではご住職らしき方が丁寧に記帳してくださり、お別れの挨拶をすると、歩き遍路の労をねぎらい合掌で見送っていただく。感謝しつつ境内を出ると、薬王寺の手前で会った不良遍路さんとバッタリ。歩き慣れて足ができあがり、それなりのペースで進めるようになったと嬉しそうに話しをされる。私も、古い友人と再会したようで嬉しくなる。お互いに近況報告をしてから別れを惜しみつつ、お先に出発する。次の札所は三十五番 清滝寺。
三十四番札所 種間寺の本堂
境内の石仏
種間寺の大師堂
お寺の塀越しに
少し歩くと、またも左足に痛みが出始める。10km以上あるくと炎症が悪化するのか??? やむなくゆっくり進むと、先ほど別れた不良遍路さんに抜かれてしまうが、私のことを気にしてくださったのか、何度も休憩を取られてその度に私が追いつく形に。春先にお遍路された時は足の踵を痛めてしまい自宅に戻ったが、痛みが激しくて立つこともできず這って移動されたそうです。普通に歩けるようになるまで一ヶ月半、重症だったんですね。あと室戸岬では、ごろごろ岩の近くで水死体を目撃・・・。ウェットスーツで素潜りしていた地元のおじさんが心臓麻痺で亡くなったとか。また神峰寺の和尚さんは、子供の頃、毎日麓まで12km歩いて学校に通っていた。また、お寺近くの私道を近所の人と自分たちで舗装して整備した等々、いろんな話をしてくださる。こまめに休憩しつつ、マイペースで進む姿は良いお手本。また先に行っていただき、私もゆっくりマイペースで進む。
清滝寺は高台にある山寺で、最後はかなり傾斜のきつい坂を上る。息を整えてからお参りを済ませ、土佐の市街地や仁淀川を見下ろしつつ境内を散歩する。清滝の名前に相応しく、湧き水が流れる水の豊かな札所。脚を休めようとベンチに向かうと、先着された不良遍路さんとまたも再会。ご挨拶して先に行っていただいく。ベンチの奥に大きな薬師如来像があり、胎内くぐりが出来る。真っ暗闇の道を抜けると小さな祠がありお参りする。胎内くぐりから無事生還して木陰で座っていると、どこからともなくおじいちゃんが現れる。昭和四年生まれのミカン農家の方だそうです。煙草(わかば)を吸いながら、農家や労働者は仕事がきついばかりでバカを見る。歩き遍路は大変やけど頑張れ、歩くのもお金がかかるし、それができるのは豊かだと言うこと。本当は一人じゃなくて奥さんも連れてこんとイカン等々。泥だらけの作業服を着て、作業の合間にお寺で休憩されて居るんだろうな。「高知には何ちゃーない」と何度も土佐弁で繰り返される。どことなくユーモラスで歯切れがよい。四国でも高知は県民平均所得が低くて貧しいんだそうです。教育レベルも低いとか。出発の挨拶をすると、気をつけて行きなさい、という意味の土佐弁で送ってくださる。
三十五番札所 清滝寺の仁王門
仁王門天井の龍の絵
清滝寺の本堂
境内
清滝寺の薬師如来像
清滝寺から街を見下ろした所
さて、次の札所 青龍寺は14km先。このまま行きたい所だが、足の状態を考えて手前の土佐市で一泊する。土佐市まで歩くがまだ13時。チェックインするには早過ぎる。地図で見つけた近くの市民病院まで行き、整形外科で診察を受ける。レントゲンで見る限り、骨には異常なく、炎症による痛みという診断。数日は歩かずに足を休めるよう言われる。炎症を抑える湿布と塗り薬を受け取り、晩ご飯をスーパーで調達してからビジネスホテルにチェックインする。浴槽に水をためて足を冷やしながら、「ここで数日の足止めはきついけど、症状が悪化して動けなくなっても困るしな・・・。」 まあ、考えても足が治る訳じゃなし、明日の朝決めることにして写経に励む。明日は明日の風が吹く、行ける所まで歩いてみよう。オヤスミナサイ。