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佐紀盾列古墳群散策コース

昨年の8月末に佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)をぐるっと一回り、大極殿北側の南北1.5km、東西3km四方にある古墳と古刹を巡礼しました。9時30分スタートで所要時間は約6時間、総距離10kmでアップダウンもなく、週末の手頃な散策コースにお奨めです。近鉄大和西大寺駅を起点に西大寺、秋篠寺を拝観し、続いて神功皇后陵、成務天皇陵、日葉酢媛命陵、称徳天皇陵、平城天皇陵、磐之姫命陵、小奈辺陵墓参考地、宇和奈辺小奈辺古墳と古墳を巡礼、終点の近鉄新大宮駅に向かう途中で海龍王寺に法華寺も拝観しました。奈良の都の中心部、狭いエリアで8つの巨大古墳を見学できました。4世紀末から5世紀前半に造営された佐紀盾列古墳群で大和政権初期当時を偲んでみてください。
ではいつも通りコースの詳細をGoogle Mapでご紹介します。今回は経由ポイントが多くて一つの地図にまとめられませんでしたので、前半と後半の二つに分けてご覧いただきます。


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写真をクリックすると拡大表示します。


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近鉄大和西大寺駅から西に徒歩3分程、すぐに西大寺に到着します。まずは本堂にお参り。


晴天に恵まれて、愛染堂が青空に映えます。西大寺は、孝謙天皇が重祚して称徳天皇を称された天平神護元年(765年)に勅願で創建された平城京時代以来の古刹。名前の通り東大寺に相当する大寺院でしたが、平安時代に衰退したり、室町時代に火災に遭ったりで、現在の伽藍はすべて江戸時代に再建されました。


本堂前に鎮座する、今はなき東塔の礎石


その由緒です、マウスクリックで拡大表示してご覧ください


先程の礎石越しに本堂を見た所。形も大きさも異なる石で組み上げていますが、これで良く崩れないものです。



西大寺を創建した孝謙(称徳)天皇の歌碑。「この里は 継ぎて霜や置く 夏の野に 我が見し草は もみちたりけり」と詠むそうで典拠は万葉集。


境内を一回りした所で次の目的地 秋篠寺に向かいます。町中の細い道を北上する途中、十五所神社に遭遇。


真っ直ぐ伸びる道の先に、秋篠寺の南門が小さく見えています。宅地開発される前は、参道の先に秋篠寺全体を見渡せたんでしょうか。


道幅1mもありませんが、さすがに奈良の小径には歴史があるようです


秋篠寺南門のすぐ手前に鎮座する八所御霊神社は、秋篠寺の鎮守だったそうです。御祭神は早良親王、伊予親王、藤原吉子、橘逸勢、文屋宮田麻呂、藤原広嗣、吉備大臣、火雷神の八柱で、恨みを抱いて亡くなった方々の怨(御)霊がお祀りされています。


神社の境内を出ると、すぐ隣が秋篠寺


南門から境内に入ります


境内には鬱蒼とした苔生す森があり、ここを抜けて本堂に向かいます


秋篠寺は宝亀7年(776年)開基で、当時、日照り、飢饉、風雨、落雷、地震といった天変地異が続いたため、この鎮静化を祈っての勅願寺でした。翌年には富士山の噴火まで起こり、本当に大変な時期だったようです。その後、火災でほとんどの建物が焼失し、この本堂も鎌倉時代の再建で、国宝に指定されています。


堂内にはご本尊の薬師三尊像、十二神将像、地蔵菩薩立像、帝釈天立像が安置され、いずれも素晴らしい仏像ですが、やはり秋篠寺と言えばあの有名な伎芸天立像ですよね。すべてを包み込むような柔和な表情を、中学か高校の美術の教科書で見た記憶があります。高名な伎芸天立像ですが、実は頭部のみが奈良当時のもので、首以下は鎌倉時代に補われたものだそうです。造立当時の記録とは姿形も変わっているようですが、素人にはバランスの取れた美しい仏像という印象しかありません。


本堂前の境内の一角


こちらは大元堂、名前の通り大元帥明王像がお祀りされています


境内の見事な苔をアップで


本堂東側にある井戸、香水閣と呼ばれるようです


東門を出た所に駐車場がありました


西大寺に秋篠寺と続けて古刹を拝観しましたが、ここからいよいよ佐紀盾列古墳群の巡礼開始です。秋篠寺の東門を出て北東に向かい、奈良競輪場、奈良大学附属高校の隣を抜けると、神功皇后陵が姿を現します


環濠に囲まれた全長275mの巨大な前方後円墳で、正式名称は五社神(ごさし)古墳。佐紀盾列古墳群では最大の規模を誇ります。


宮内庁御用達の拝所はどこの陵墓も同じですね


神功皇后は仲哀天皇の妻で、子供(応神天皇)を妊娠したまま朝鮮半島に出兵して三韓征伐した伝説の女性。日本最大の前方後円墳、大仙古墳に埋葬されたとされる仁徳天皇の祖母に当たります。


後半に続く