目次

gosekitoba webヒットカウンタ

Google+

柳生街道散策コース

数年前に奈良から柳生街道を歩いた時のコースをご紹介します。春日大社の裏手を出発点に、春日山の南麓にある山道を東に進み、石仏群に見守られながら峠の茶屋、円成寺、夜支布(やぎう)山口神社と歩いて柳生の里に入り、さらに南明寺、疱瘡地蔵、柳生陣屋跡、家老屋敷を通って左手に十兵衛杉を見ながら笠置山を登り、終点のJR笠置駅まで計25km。12月中旬の寒い一日でしたが、山道あり、石仏・磨崖仏あり、神社仏閣あり、武家屋敷ありと見所満載のコースを9:40から16:40まで7時間程かけて楽しく散策できました。毎度のことながら、今回も先輩にガイドしていただきました、ありがとうございました。
いつもと同じくコースの詳細はGoogle Mapでご確認ください。山道が一部登録されていないせいか、経路が奈良奥山ドライブウェイを越える地点で途切れてしまうため、その前後でコース地図を2つに分けました。また、笠置山寺から笠置駅に降りる経路がうまく辿れませんでしたのでここは省略しました。


大きな地図で見る


大きな地図で見る

写真をクリックすると拡大表示します。



さて、春日大社の裏手から柳生街道に入ると、すぐに春日山と高円山(たかまどやま)の間の山道に入ります。谷川沿いに大きな岩がごろごろしており、道すがら石仏、磨崖仏を多数見学できます。最初に出会うのは、この夕日観音。木の股の下に岩が三角形になっている所、ここに仏様が彫られています。写真クリックで拡大してご覧ください。


谷川に沿って、石畳の渋い街道が続きます


続いて朝日観音。以下、近くにあった看板からの引用です。
街道からは谷川の対岸に彫られており、早朝、高円山の頂からさしのぼる朝日に真っ先に照らされることから名付けられました。実際には観音でなく中央は弥勒仏、左右は地蔵仏。文永2年(1265年)の銘があり鎌倉時代の石彫の代表的なもので、この下の夕日観音と同じ作者と見られます。


苔生す巨木。岩だけでなく木の幹にも苔が・・・。


奈良奥山ドライブウェイの手前には春日山石窟仏が。以下、看板の引用です。
平安末期1155年の作と言われ、東西二つの凝灰岩室の石窟から成る。東窟は下部四面に仏像を彫りだした石柱を中央にして第一洞(東寄)と第二洞(西寄)とに分かれており、第一洞には東側の壁面に菩提形立像三体と天部の立像一体、第二洞には西側の壁面に地蔵菩薩立像四体と天部像一体が刻まれている。また西窟には大日如来を中心とした金剛界五仏が残されている。


石窟仏を少しアップで


春日山石窟仏の石碑。文化財保護のためか、石窟は網で囲まれています。ここまで出発点から約4km。


十二月中旬だけに、紅葉は終わり街道は落ち葉で埋まっています


ドライブウェイを越えて石切峠に差し掛かると、南天の向こうに休憩所らしき建物が見えてきます



ガラスケースに美味しそうな草餅を発見!


峠の茶屋で脚を休めるの図。お茶に草餅を頂いて、茶屋のご主人と暫し歓談。


南天だと思うのですが、赤というか朱色というか、冬の枯れ模様の中の紅一点が色鮮やかですね


茶屋に別れを告げ、振り返りつつ先に進みます


抜けるような青空・・・の見本? 本当に良いお天気に恵まれました。斜面の茶畑が緑色で目立っています。


東海自然歩道の道標、峠の茶屋から4.4km歩きました


うららかな冬の晴天の下、柳生街道を進むと、この辺りでは最大の古刹、忍辱山(にんにくせん)円成寺が見えてきました。あの運慶のもっとも初期の作品、大日如来像(国宝)を所蔵することでも知られます。


円成寺全景を撮影してみました。重要文化財の本堂、阿弥陀如来、四天王、南無仏太子、宇賀神本殿、山門。国宝の大日如来(多宝塔、運慶作)、春日堂・白山堂と、多数の文化財を誇ります。


境内の石仏


右手に見える朱色の塔が多宝塔でしょうか?


円成寺の山門をアップで


境内の池には蓮の残骸?


池を中心にした浄土式庭園、蓮が咲く頃に来てみたいですね


円成寺を出て先を急ぐと、人家もまばらな道端に棚田が広がっています


平地に水利工事をするには鉄器や技術力が必要なため、最初は高低差を使って水を誘導できる棚田から米作が始まったという説もあるようです。この辺りの風景は、意外に古墳時代や飛鳥時代とそれほど変わっていないのかも・・・。


柿の実がびっしりと、烏に啄まれていないので渋柿でしょうか?


飛行機雲が真っ直ぐに



この辺りはアップダウンもなく、気持ちよく街道を歩けます


と、大きな石灯籠が視界に! そろそろ人里が近づいてきたようです


高台に登ったせいか、辺りの田圃を見渡せます


さらに上ると夜支布(やぎう)山口神社に突き当ります。以下、看板からの引用です。
大柳生の氏神で平安時代の延喜式にも現れている古い社です。境内にある摂社立磐神社の本殿は、春日大社の第四殿を延享四年(1747年)にここに移したものです。この神社には、一年交替で集落の長老の家に神様の分霊をむかえる「回り明神」と言う珍しい行事が伝わっており、700年の伝統を持つ第柳生の太鼓踊りが奉納されます。


看板の由緒でも説明されている境内の摂社 立磐神社


境内の巨木が歴史を感じさせます。人間が小さく見えますね。


夜支布山口神社の本殿


えらく赤い幹の木が・・・


神社を降りて、いよいよ大柳生の里に入ります


通りすがりで見かけた何かの遺構、もしかして水木古墳の一部でしょうか?


つるし柿なんて、今時なかなか見ませんが、昔は冬の風物詩だったんでしょうね


冬だけに寒々としていますが、田圃が広がっています


これまた懐かしいヘビイチゴ


さらに北上すると、南明寺に差し掛かります。この本堂は鎌倉時代中頃、800年ほど前のの建築だそうです。


南明寺の本殿は奈良らしいシンプルな作りに見えます



本殿内部の阿弥陀如来様とご住職でしょうか


同じく御本尊の薬師如来様


南明寺を出ると、すぐに”おふじの井戸”という看板が見えます。以下、引用です。
この道が大柳生と柳生を結ぶ旧道で、柳生の城主、但馬守宗矩が、この井戸の付近を通りかかり、洗濯をしていた、おふじと言う娘に「桶の中の波はいくつあるか」とたずねると娘は「お殿さんがここまで来られた馬の歩数は いくつ」と尋ね返した。但馬守はその器量と才気を見初め、のちに妻に迎えたとの伝説がある。今も「仕事せえでも器量さえよけりゃ、おふじ但馬の嫁になる」との里歌が残っている。


さらに北上して柳生の里を目指します


立野寺の少し北にある磨崖仏の疱瘡(ほうそう)地蔵。当時は疱瘡などの伝染病を防ぐには神仏に頼るしかなかったんでしょうね。元応元年(1319年)十一月の銘があるそうです。


疱瘡地蔵様の裏側に刻まれた仏様でしょうか、数年前のことなので忘れてしまいました・・・


いかにも日本家屋って感じです


マンホールも奈良風



369号線沿いにある柳生茶屋、立ち寄らずにそのまま通過しました


撮れ撮れカメラ! デジカメ全盛の今となっては懐かしいような、侘びしいような・・・


確か柳生八坂神社だったと思います・・・


こちらは、神社のすぐ北にある柳生藩家老屋敷。かつての柳生藩家老 小山田主鈴の隠居宅で、現在は小山田主鈴と柳生藩の資料館として公開されています。一時、作家の山岡荘八が所有して柳生宗矩を主人公にした小説「春の坂道」の構想を練ったんだそうです。


家老屋敷からまた北に向かうと西側に十兵衛杉が屹立しています。枯れて真っ白になり、地の骨といったところ。


柳生の里だけに家もお城風? 売り物件のようですが、あまり購買意欲はそそられませんでした・・・


柳生からさらに北の笠置を目指して歩きます


川の畔にまたも磨崖仏、阿対(あたや)の石仏だそうです。千羽鶴がたくさんお供えしてあり、今でも信仰されているようです。


以下、看板の引用です。
正面に彫られた阿弥陀如来仏は、流行病よけの願を聞いてくれるといわれ、現在でも多くの人達に信仰されています。向かって左側の地蔵菩薩は子供のない人が豆腐を供えると、思うままに授かると言われ、子供が出来た時には、一千個の数珠をつくり、お礼詣りをします。右肩に「源祐」の銘があり、室町時代の作といわれています。


阿対(あたや)の石仏への入り口にある石の舟? お豆腐は子供を授かりたい方のお供え物でしょうか。


十兵衛杉から3kmほど北上すると今日最後の目的地、笠置山寺に到着。


山寺だけに下界を見下ろせます


一気に階段を下りると、若干錆の出た渋いアーチ型看板が見送ってくれます。ここが笠置町の入り口なんですね。


さて9時半過ぎから歩いてもう夕方の5時前に。コースの終点、JR笠置駅に着いた頃には薄暗くなってきました。駅のホームから笠置山寺方向を振り返ると、山の中腹にある建物に明かりが灯っています。冒頭にも書きましたが、なかなか見所の多い変化に富んだコースでお奨めです。