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紫野から東山の紅葉狩り散策コース

以前、11月末に京都市内の神社仏閣巡りと紅葉狩りを兼ねて歩いた散策コースをご紹介します。 京都駅から市営地下鉄烏丸線で北大路駅まで移動して、大徳寺、建勲神社、本法寺、不審庵の順に歩いて同志社大学のカフェで昼食して前半戦終了。地図上の移動距離は4.7kmですが、万歩計では約9kmでした。神社仏閣の境内を歩いた距離がこの差分になります。北大路駅を11時に出発して、昼食を終えたのが14時30分ですから所要時間は3時間30分でした。

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エネルギーを充填した所で、最寄りの今出川駅から四条烏丸駅まで地下鉄烏丸線で移動。ここから歩いて恵美須神社を経由して建仁寺で紅葉を楽しみ、最寄り駅の京阪 清水五条駅で後半戦終了。地図上の移動距離は2.5kmですが、万歩計では約4km。境内をウロウロすると結構歩くものですね。同志社大学出発が14時30分で、清水五条駅着が16時でしたので所要時間は1時間15分。前後半通して、コース距離7.2km(万歩計の距離13km)、所要時間4時間45分でした。
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今日最初の紅葉狩りポイントは大徳寺。臨済宗の禅寺で、大燈国師が1325年に開基して以来、名僧を輩出したり茶の湯との深い関係を通して、日本文化に大きな影響を与えてきました。例えば、アニメの頓智小坊主で有名な一休宗純や、宮本武蔵の小説や漫画で有名な沢庵宗彭(たくあん そうほう)は、どちらも大徳寺で修行をして住持にまでなった人ですし、茶道の創始者と言われる村田珠光が一休さんに参禅した事に始まり、武野紹鴎、北向道陳、今井宗久、津田宗及も大徳寺で参禅しました。また侘び茶を完成させた千利休も、大徳寺の山門に自分の木造を飾って秀吉の怒りを買い切腹させられたりと深い関係がありました。

能書きはこのくらいにして・・・、山門を通って最初に見えてきたのは黄梅院。通常は非公開ですが、この時は特別拝観できました。大徳寺は禅寺ですので境内にたくさん塔頭があり、黄梅院はその一つです。


庭の石碑には、いずれも黄梅院とゆかりの深い戦国大名の名前が刻まれていますが、個人的には蒲生氏郷に一番惹かれます・・・。


月並みですが、境内の紅葉は色とりどり


黄梅院は、1551年に織田信長が、父・信秀を供養するために小庵を建立したことに始まるそうです。比叡山を焼き討ちしたり一向宗門徒を集団虐殺したりと、仏教と対立した信長も禅宗は認めていたんでしょうか? ややこしいことはさておき、境内には田珠光や千利休に縁の深い庭園や庫裏があり、ぐるっと見渡すと心が落ち着きます。


黄梅院を出て、参道を芳春院に向かいます


芳春院は加賀百万石を築いた前田利家の妻まつが建立した塔頭で、まつの法号でもあります。ここも通常非公開ですが特別拝観できました。写真は芳春院の庫裏、僧侶の居住する所で台所を兼ねる事もあるそうです。


庫裏を抜けて、この門から庭に入ります


芳春院の一隅を飾る赤、橙、緑。植物に疎いので名前はわかりません・・・。南天じゃないですよね?


石庭の奥にある呑湖閣(どんこかく)。金閣・銀閣・飛雲閣と並んで京の四閣と呼ばれるそうです。作庭や茶道で有名な小堀遠州が建てたとか。他の三閣よりもサイズはぐっと小型ですが、庭や池といい風景を作っています。


禅宗と言えば石庭? 日本を代表する風景であり芸術ですね。素人の私もなんとなく見入ってしまいます。


小ぶりな灯籠


少々うろ覚えですが、これも芳春院の一角で見つけた紅葉だったと思います・・・


芳春院を出て、次はいよいよ本日のメインイベント高桐院。JRの「そうだ京都、行こう」キャンペーンのポスターでここの紅葉が有名になりましたが、細川幽斎、忠興親子に縁の深い見所の多い塔頭です。

まずはトレードマーク?の紅葉4連発








高桐院は、戦国武将の細川忠興(三斎)が、関ヶ原の戦いの翌年1601年に建立しました。忠興は八十三才まで長命し、ここ高桐院に遺骨が埋葬されたそうです。忠興と言えば、キリシタンで有名なガラシャの夫だったり、父の幽斎と二代に渡って織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、熊本(肥後)藩54万石を築いたりと、戦国時代の代表選手みたいな人です。戦や政治だけでなく、和歌や茶道にも堪能で甲冑のデザインや日本刀の拵えまでこなす文化人としても有名で、特に茶道では利休七哲の一人とされ、利休が切腹を命じられた時も彼との関係を否定せず見舞いに行ったと言われています。ちなみに高桐院の書院は利休の邸宅を移築したもので、その奥に忠興とガラシャの墓所があります。

この写真は、二人の墓石に当てられた石灯籠で銘は無双。利休秘蔵の天下一の石灯籠と言われ、秀吉から譲るよう要請されましたが、利休はワザと傘部分を欠き、疵物だから差し上げられませんと断った逸話があるそうです。その後、忠興が利休から遺贈され、自分とガラシャの墓石としました。


こちらは墓所近くにある手水鉢。二人は有名な美男美女夫婦で、忠興もかなりのイケメンだったようです。ただ異常に気象の荒い面もあり、ガラシャに見とれた庭師を斬り殺したとか、ガラシャの侍女の鼻をそぎ落としたとか、敵をだまし討ちにした上に敗残兵を皆殺しにした等々、負の逸話もあります。いろんな意味で、スーパー肉食系というか激しい人だったようです・・・。


墓所近くの井戸で三斎井戸と呼ばれ、忠興の月命日にはこの井戸から水を汲み、墓石にお供えするそうです。愛憎ともに深い夫婦ですが、お墓の中では仲良く穏やかに過ごしているんでしょうか?


高桐院の書院、意北軒。千利休の宅邸を移築したものだそうで、禅や茶道の侘び寂びを具現化した数寄屋風書院の走りでしょうか。建物を含む高桐院は、安土桃山時代の美の集大成の一つといっても過言ではないと思います。


ここでまた晩秋の主役、色とりどりの紅葉を8枚連続で!
















緑の上の散り紅葉


紅葉の高桐院をご紹介してきましたが、楓の若緑に彩られた新春の高桐院もお奨め。何度来ても飽きない名所です。


真っ赤な紅葉も奇麗ですが、こんな紅葉も乙なもの?


今度は黄色に赤に緑・・・。思わず、日本に生まれて良かったなー・・・。


紅葉を堪能した所で、山門から参道を振り返りつつ高桐院に別れを告げます。しかし離れがたいというか、後ろ髪を引かれるというか・・・、何時間居ても飽きない所です。


大徳寺内の参道を歩くと、もう一つの塔頭 玉林院の前に差し掛かります。


玉林院の庭から壁越しに伸びる真っ赤な紅葉


同じく玉林院周辺の花を見ながら、大徳寺の境内を抜けます。姫蔓蕎麦(ひめつるそば)という名前で、調べてみるとヒマラヤ原産。春から11月過ぎまで花が咲くそうで、長い間人の目を楽しませてくれる健気な花です。


さて今日二番目の紅葉狩りポイントは建勲神社、大徳寺から歩いて5分程の船岡山に鎮座します。写真は木造の大鳥居。


建勲神社は織田信長を讃えるため明治3年に創建された新しいものですが、船岡山は古くからの京都の要所。平安京を造る際にはここを基準にして朱雀大路を南北に走らせたそうですし、枕草子が書かれた時代にはすでに有名な景勝地で、「岡は船岡」で始まる件では美しい岡の一番手として名前が挙がっています。また船岡山からは大文字の送り火がよく見えるため、今でも当日は人気スポットです。一方で、東山の鳥部野と並ぶ葬送の地でもあり、京都の住民と深い繋がりのある山(岡)だったようです。ちなみに鳥部野は清水寺の麓辺りですが、産寧坂の南にある細い参道で清水寺境内から大谷本廟に降りると、今でも鳥部山の斜面一面に墓地が広がっています。最初にこの道を通った時は墓域の広さと墓石の数にビックリしたのを覚えています。

岡を登り境内に入ると狛犬が出迎えてくれます。そう言えば、神社ができる以前にも、豊臣秀吉が信長を偲ぶ廟を船岡山に建てたそうですから、信長と縁の深い土地なんですね。


欄干に負けじと燃えるように色付いた紅葉


船岡山の高台にある境内から東山を見た所。清少納言もこんな風景を見たんでしょうか・・・。


色付いた楓の葉


掃除の行き届いた境内には、落ち葉一つありません


境内にはごつごつとした岩肌も見えます。そう言えば、岡の形が船に似ているので”船岡山”だそうです。


神社でお参りをして山を下り、東山に向かって上御霊前通りをぶらぶら歩くと、いつの間にか銀杏並木の堀川通りに出くわします。


上御霊前通りの南は寺之内通りで、その名の通りお寺が並んでいます。京都の町並みは秀吉が大改造したのですが、その時、東は賀茂川、西は天神川の間を濠とお土居で囲み、東西に走る寺之内通りと南北に走る寺町通りに寺院を集めました。川が第一防衛ライン、濠とお土居が第二次防衛ライン、寺院が第三次防衛ラインだった訳です。で、堀川通りを南に下るとすぐ本法寺、茶道資料館、宝鏡寺があり、せっかくなので本法寺を写真撮影することに。この写真は境内の多宝塔です。


こちらは本法寺の本堂と、その手前が本阿弥光悦の像。本法寺は日蓮宗のお寺で本阿弥家の菩提寺。光悦は秀吉が本法寺を寺之内に移した時に工事を監督したり、作庭を自分で手がけたりしています。また桃山時代の代表的絵師の一人、長谷川等伯も本法寺の庇護を受けた事があり、彼の作品を所蔵しているそうです。しかし光悦に等伯といったビッグネームと縁の深いお寺とは、お見それしました。


同じく、本法寺の山門


山門を潜って本法寺の境内を東に抜けると、茶道の表千家の本拠地、不審庵に出くわします。隣り合わせで表千家の不審庵と裏千家の今日庵があるのですが、不審庵が通りの表(南)側にあるので表千家、逆に今日庵は裏(北)にあるので裏千家になったんだそうです。意外とベタなネーミング?


不審庵のすぐ近くで見かけた百々橋の礎石。看板の説明にあるとおり、嘗てはここに橋があり応仁の乱の激戦地だったそうです。


さらに東に歩くと、途中、レトロな看板の室町変電所を発見。近くに、尾形光琳・乾山兄弟の屋敷跡の看板がありましたので、二人がここに住んだ時期もあったんでしょうね。またまたビッグネームの登場にビックリです。


さらに東に歩くと、そろそろ午後2時になろうかという頃に同志社大学が見えてきます。さすがにお腹も減っており、大学の寒梅館のカフェで遅めの昼食タイム。ここで今日の前半戦を終了することに。今にして思えば、意図せず桃山時代の名残が詰まったコースでした。


さて、昼食を楽しみ足の疲れも回復した所で、後半戦に突入です。最寄りの今出川駅から地下鉄で四条烏丸駅に移動して、建仁寺に向かいます。まずは、駅から京都の目抜き通りの一つ、四条通を東に歩いて賀茂川の四条大橋まで。橋を渡ってすぐ南に歩くと建仁寺に到着。一礼して山門を潜ります。ちなみに、カフェ出発は午後2時30分、建仁寺到着は3時20分くらいでした。


門を通して境内を見たところ。二枚続けてピントが甘くなっていますが、ご容赦を・・・。


建仁寺は栄西禅師の開山、建仁2年(1202年)に建立されました。鎌倉幕府の二代将軍 源頼家が寺域を寄進し、当初は天台・密教・禅の三宗兼学の道場としてスタートしたんだそうです。当時は禅宗が中国から伝わったばかりでしたので、宗教大学をつくったときに、既存の学問(学部)に加えて流行の新しい学部も始めたと言った所でしょうか。その後、文永2年(1265年)宋の禅僧、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは純粋に禅の道場となりました。文永年間といえば、元寇があったり、日蓮が佐渡島に流されたりと、社会情勢が不安定な時代でしたので、禅宗の新しい世界観に期待が集まったんでしょうね。

境内中央にある法堂。建仁寺も他の寺院と同様、火事や戦火の被害に遭っており、この法堂は1765年に建てられました。


栄西禅師が、延暦寺で得度した後、二度の入宋で学んだ禅宗を日本に導入・布教されたのは有名ですが、ここ建仁寺で75歳で亡くなられたそうです。建仁寺800年の歴史を偲びつつ、境内の真っ赤に染まった楓で今日の紅葉狩りは打ち止め。最寄りの京阪、清水五条駅まで歩いて散策を終えます。


大徳寺で個人的に盛り上がってしまい、当初予定よりも長い20回シリーズとなりましたが、紫野から紅葉狩り散策コース、これで終了です。今回は紅葉狩りコースでしたが、春の新緑の楓を楽しむコースとしてもお奨めです。5時間くらいで京都を歩いて楽しみたい方の参考にしていただければ幸いです。