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一乗寺・修学院・岩倉の散策兼ドライブコース

数年前のゴールデンウィーク、晴天に誘われて念願だった曼殊院を拝観しようと京都市内の一乗寺に行ってきました。一乗寺は東山の北、宮本武蔵が吉岡一門と戦ったと言われる一乗下り松でも知られるエリアです。折角なので、曼殊院を皮切りに一乗寺の名刹、金福寺、詩仙堂、円光寺を散策し、その後、車でさらに北上して修学院の赤山禅院、岩倉の実相院を拝観。曼殊院、詩仙堂、円光寺は江戸初期に桃山文化の粋を集めて作られた建物に庭園が素晴らしく、赤山禅院は平安時代前期に開創され1100年以上の歴史を誇る比叡山延暦寺の塔頭の一つ、実相院は幕末に岩倉具視が倒幕の密談をした明治維新の裏舞台となった寺院で、それぞれ違った魅力のある史跡を辿るコースを本日から毎日ご紹介します。
まずは経路の詳細をGoogle Mapでご覧ください。総距離10km強のコースを、徒歩と車を併用して4時間半程かけて巡礼しました。

大きな地図で見る

ここから、写真をクリックすると拡大表示します。


念願だった曼殊院を拝観できるということで、浮き浮きしながら受付を済ませて門を潜ります。曼殊院は天台宗の門跡寺院で、江戸初期に当時の天台座主 良尚法親王によって現在の一乗寺に移転されました。


良尚法親王は、桂離宮を造営した八条宮智仁親王の息子ですから、親子で桃山文化を代表する文化財を造営されたことになります。茶道、華道、書道、絵画などに多彩な芸術的才能を発揮した当時を代表する文化人で、この額の文字も自ら書かれました。竈(かまど)に媚びると書いて、台所で働く人を大切にせよという意味だそうです。


いよいよ、伝・小堀遠州の枯山水庭園が見えてきました。大書院の前には鶴島と呼ばれる苔生す緑のエリアがあり、樹齢400年の五葉松が鎮座します。


大書院の奥は桃山様式のシンプルな数寄屋造りの小書院、縁側を挟んで庭には亀島。書院の奥には八窓軒茶室がありますが、非公開で見学できませんでした。


白砂に太陽の光が反射して眩しい程の晴天、霧島ツツジの赤い花が映えます。


白砂が海、建物がここに浮かぶ屋形船と、水景を表現した庭だそうです。そう言えば、縁側が舟の舷側に見えますね。


石庭の白、木々の緑、空の青に花の赤がバランス良く・・・


「閑静亭」の額は、江戸初期の能書家 松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)の筆跡


菊の花と格子のデザインが秀逸な富士の間の欄間と、曼殊院棚と呼ばれる黄昏の間の違い棚が特徴的


この屏風は良尚法親王の隷書作品


霧島ツツジをアップで


広い台所に竈


襖絵、茶道具、国宝の古今和歌集(曼殊院本)といった寺宝を堪能して建物を出ると、白とピンクのツツジが見送ってくれます


後ろ髪を引かれつつ、曼殊院に別れを告げて次の目的地、金福寺を目指します


曼殊院道を南下して金福寺に到着。もとは天台宗の寺院だったのが、このお寺を再興した鉄舟の円光寺の末寺となり臨済宗南禅寺派に改宗したそうです。鉄舟と親交のあった松尾芭蕉がここを訪れたとされ、芭蕉庵とも呼ばれます。




芭蕉庵の縁側で昼寝とは、なんとも贅沢な猫ですな・・・


今の建物は、芭蕉を敬慕する与謝蕪村一門が整備したものだそうです。これは与謝蕪村の作品、奥の細道。


床の間には蕪村が描いた芭蕉の肖像画


江戸末期の漢詩人で梅田雲浜・頼三樹三郎・吉田松陰・橋本左内らと交流があった梁川星巌(やながわせいがん)の筆跡


先程猫が寝ていた縁側から石庭を見た所


石庭の奥の高台に芭蕉庵の屋根が見えます


階段を上って芭蕉庵に


高台にあるだけに見晴らしは最高


渋い床の間に一輪挿しが


茶室を引いて撮影してみました


芭蕉庵の由来、写真のマウス・クリックで拡大表示してご覧ください


さらに石段を登り芭蕉庵を見下ろす


蕪村の来歴


御墓が二基


与謝蕪村の墓もここにあるんですね


さらに登って京都市内を遠望する


一通り境内を堪能した所で高台を下り、本堂に戻りました。蕪村の作品などはこの中に陳列されています。


金福寺の受付を抜けて北に向かいます


後半に続く