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新緑の東山は哲学の道 名刹巡礼コース

京都観光のメッカ東山で、新緑の5月に哲学の道を中心に名刹を巡礼した時のコースをご紹介します。まずは自宅から法然院まで自転車で移動し、その後、哲学の道を南に下って霊鑑寺、いったん西に逸れて真如堂に向かい、また哲学の道に戻って熊野若王子神社、永観堂の順に全長2.6km、所要時間4時間。私は自転車を使いましたが、移動距離は2.6kmですから散策コースとしても手頃です。名刹といいながら、神社が一つ混じっているのはご愛敬ということで・・・。なお5月に撮影しましたので新緑の境内をご覧いただきますが、春夏秋冬それぞれ季節を問わず楽しめるコースだと思います。コースの詳細は下記のグーグルマップでご確認ください。
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今日、最初の巡礼ポイントは法然院。自転車で哲学の道を北上すると、銀閣寺から南に400m程下った所に法然院への方向を示す看板があり、指示通り東(山側)に入ると写真の石碑が出迎えてくれます。この辺りの地名は鹿ヶ谷(ししがたに)、石碑は当て字で”ししがたに”もしくは”ししのたに”法然院と彫ってあるんだと思います。


石碑を通過して短い坂道を上ると、苔むした山門が姿を現します。法然院と言えば、この山門を思い浮かべる方が多いのでは? 苔の緑が良いのか、形が良いのか、理由は定かでありませんが最初に見た時は思わず「うわー」と声が出るほど印象的でした。


せっかくなのでアップでご覧ください


いったん門を潜って境内に入り、今度は斜め下から撮影。どこから見ても様になりますね。


山門から境内に続く道の両側には白砂壇が。表面には水を象徴する流紋が描かれており、この間で心身を水で清めてから境内に入る仕掛けです。


浄土宗の宗祖、法然上人が比叡山で得度された後、鹿ヶ谷で修行された時に住んでおられた草庵跡がこの法然院なんだとか。白砂壇を抜けるとすぐ、池に懸かる橋に続きます。この池はモリアオガエルの繁殖地としても有名で、私が拝観した時も池の上の木の枝に白い泡のような卵が産み付けられていました。


池から境内奥の本堂に続く参道。突き当たりは裏山で、左に曲がると本堂に。法然院は裏山と境内が一体化しており、ムササビなどの野生動物が境内にもやってきたり住みついたりしているそうです。


池のほとりにある石の瓶、水と緑の組み合わせを見るとなぜかほっとします・・・


池の周辺には苔がぴっしりと敷き詰められています


境内の奥には本堂が。1688年に再建され、ご本尊の阿弥陀如来坐像、また観音・勢至両菩薩像、法然上人立像、萬無和尚坐像が安置されています。萬無和尚は、法然上人が亡くなった後、荒れ果てた草庵を寺院として再興することを発願された方です。


本堂正面の裏山にはお地蔵様がおられます。萬無和尚の遺志を受け継ぎ草庵跡に伽藍の基礎を築いた弟子の忍澂和尚が、ご自分と等身大の地蔵菩薩像を鋳造させ、安置されたものだそうです。


お地蔵様をアップで拝見


幸い本堂には人がおらず一人でお参りさせていただき、さらに境内の雰囲気を堪能した所で法然院から真如堂に向かいます。


法然院を出て南下すると霊鑑寺の前に差し掛かります。非公開のため、柵の手前から山門を撮影。


こちらは参道の入り口にある石碑。霊鑑寺は、後水尾天皇が皇女の多利宮(たりのみや)を開基として創建された尼寺で、日本庭園や椿の名木で有名です。後水尾天皇は江戸幕府創建当時に在位され、85歳で亡くなるまで朝廷に介入しようとする幕府と対立し続けた気骨の持ち主で、山荘として修学院離宮を建てた方でもあります。


霊鑑寺は例年春と秋に特別拝観できるようなので、椿の春にまた来ねば・・・と決意しつつ、次の経由地 真如堂に向かいます。真如堂は白川通りを挟んで霊鑑寺の西向かい。自転車で白川通りまで坂を下り、今度は上って真如堂の裏手にある東参道から境内に入ります。


真如堂と言えば今や紅葉の名所ですが、新緑の楓もなかなかの見物


そう言えば真如堂の正式名は鈴聲山真正極楽寺真如堂で天台宗の寺院、日本を代表する財閥、三井家の菩提寺でもあります。境内裏手の高台には墓石が立ち並び、江戸時代の絵師 海北友松や明智光秀の家臣 斉藤利三といった有名人もここに眠っています。真正極楽寺ですから、「ここが本当の極楽でっせ」というある意味凄い名前・・・。ちなみに斉藤利三は光秀の筆頭家老の一人として山崎の戦いに参加するも豊臣秀吉に敗れ、戦後、捕縛されて六条河原で斬首されました。”大奥”で有名な春日局はこの斉藤利三の娘ですが、光秀の家臣として本能寺の変という日本最大の謀反に参加した上に、最後は敗軍の将として斬首された人の娘を将軍の乳母に抜擢するというのは不思議な気がします。斉藤利三も春日局も、余程、人柄や能力の優れた人だったんでしょうね。そう言えば、利三が斬られた後、彼と親交の深かった海北友松が首を引き取って真如堂に葬ったそうです。


本堂の周りをぐるっと正面まで歩くと三重の塔が聳え立っています


本堂の大屋根が青空に映えます


本堂前には菩提樹の巨木、中京区民誇りの木だそうです


本堂の大額「真如堂」、もともとお堂の名前だったものがお寺の通称になったんですね、たぶん・・・


本堂に入りお参りをしてから御朱印をいただきます。ここまで、真如堂の境内は無料で見学できますが、別途500円で本堂内陣や庭園を拝観できます。お寺の方に解説していただきつつ、本堂、四季の間、涅槃の庭を順に見て回ると、元を取ったと言うとなんですが納得感のある拝観料でした。この写真は四季の間。


同じく四季の間の襖絵


大文字山を借景にした涅槃の庭、写真右上に”大”の字が見えます


観光時期から外れたせいか涅槃の庭を独り占め、贅沢なひとときを過ごせました


涅槃の庭から廊下を通って本堂に戻り、本堂正面の廊下から三重の塔と飛行機雲


最後は真如堂の山門を抜けて見学終了したものの、自転車が裏手に置いてあるのを思い出し、再度境内を抜けて東参道に。


左手に大文字山の”大”の字を見つつ哲学の道に向かいます


哲学の道に戻って南下すると熊野若王子神社の鳥居が見えてきます。後で調べてみると、ここが哲学の道の起点だそうです。


写真は熊野若王子神社の本殿。もとは後白河法皇が禅林寺(永観堂)に守護神として熊野権現を勧請、祈願所としたものを、明治初年の神仏分離で禅林寺から独立しました。


境内の牛の石像


若王子神社は、天照大神の別称”若一王子”に因んだ名前だそうです


熊野若王子神社でお参りをして、お隣の禅林寺永観堂に


大玄関で拝観料を払い境内に入ると、さすが東山の永観堂。山の樹の中に多宝塔が埋まっているようです。


方丈の廊下を奥に進むと、庭には法然院の白砂壇を思い出させる砂の壇が


方丈を文字通り解釈すると一丈四方、つまり四畳半程度のシンプルな正方形の建物(空間)、シンプル故に作るのも壊すのも簡単で、僧侶や隠遁者の住居によく採用されました。例えば鴨長明の『方丈記』は、方丈の庵で書かれた本(記録)という意味。また仏教には、方丈の狭い空間に文殊菩薩の一行を全員収容できたという逸話があり、これが発展して方丈は全宇宙を内在するとされ、寺院の住職が生活する建物を方丈と呼ぶようになりました。さらに室町時代中期以降は仏像や祖師像が安置されるようになり、本堂の役割を担うようになります。


そんな方丈の縁側をぐるっと歩くと、右手に見える中庭もなかなかです


さらに方丈から別の建物に続く廊下を進むと、突き当たりは水琴窟、右は阿弥陀堂で左は臥龍廊。まずは阿弥陀堂を目指します。


そう言えば永観堂というのは、平安時代後期に禅林寺中興の祖となった高僧、永観に因んだ名前です。永観が阿弥陀仏像の回りで行道していると、阿弥陀如来が須弥壇を下りて共に行道を始められ、驚いた永観が立ち止まると振り返って「永観遅し」と言われたそうです。なので、ここ阿弥陀堂には、振り返ろうとされている”みかえり阿弥陀”像が本尊として祀られています。ただ残念ながら阿弥陀堂は工事の真っ最中、落ち着かない雰囲気は否めません。永観さんですら遅いと怒られたくらいですから、私などは「歩き始めてすらいないお前に掛ける言葉はない」くらいのお叱りを受けそうで、早々にお参りを済ませて先程の水琴窟に戻ります。


今後は臥龍廊を歩きますが、名前の通り龍のような廊下がウネウネと続きます


臥龍廊を終点まで歩くと開山堂、この辺りは境内と山が一体となり・・・


廊を抜けてさらに登ると多宝塔に行き当たります


東山の中腹にある塔は格好の展望エリアで京都市内を一望。写真の左三分の一の所、頂に突起のある山がこの前登った愛宕山だと思います。


多宝塔から高みの見物を堪能し、臥龍廊、方丈、大玄関と順に戻り境内に出ます。水の音に惹かれて歩くと、境内の一番奥でせせらぎを発見。


最後に、境内の池越しに東山と多宝塔を眺めて永観堂の拝観を終えました


東山の哲学の道を中心に2.6kmの短距離コース、4時間かけてじっくりと法然院、真如堂、熊野若王子神社、永観堂を拝観して無事終了です。京都散策のご参考に!